え?だって認められたいじゃん?褒められたいじゃん?
今日は俗に言う「自己顕示欲」について書いてみたいと思います。
つまらなそうですが、面白くやります。
まず人間として生まれたからには誰かしらと協力関係にありますし
血縁関係を持っている、或いは持っていたことがあるわけです。
しかしながら、小さな頃から親に褒めてもらえなかったり
学生時代にチヤホヤされないと、その反動からストレスが溜まり、欲求不満となります。
程度は様々ですが、その欲求不満をどうやって解決するかになります。
仲の良い友達や彼氏彼女、親に愚痴をこぼしてみたり
甘いスイーツでも食べたりと人それぞれの解決方法がありますが、その欲求不満を解決する活路を見い出せない人が少なからずいるわけです。
これをこじらせたらさあ大変。
始まりました、「欲求不満スパイラル」です。
インスタとかTwitterでこういう人みたことありませんか?
今やっと引越し終わった 今度の寮のルームメイトはまともな人がくると助かるんですがまだ来てないんですよねぇ~~~~~
— 대규 TEIKYU (@uykiet) 2018年8月25日
引越し費用が通常価格の倍と何とも理不尽なボッタクリにあってしまい友人に貸した冷蔵庫も破壊されてると
まあ今学期も相変わらずスタートダッシュ失敗ですね!!!!!!!!!!!!
惨めですね。全文読むのもめんどいです。「今やっと」まで読んだ。
「私ってこんなに不幸なんだよ?可哀想でしょ?」といった自己嫌悪や愚痴を通して、逆に特別な存在であると主張する、「不幸自慢」です。
通常「私ってすごいでしょ?」「ブランド品をこんなに持ってるんだぞ!」といった自身の優位性を主張することを自慢と言いますが、この場合そう単純ではありません。
他人からの同情を誘い、ちょっとでも構って貰うことも目的としていますが、大抵ウザがられています。しかも、不幸自慢を続けている人たちはそれに気づけない、または気づいているがもうこの際それでもいいやと思っています。この悪循環から脱せない人が「欲求不満スパイラル」へとはまってしまうのではないでしょうか。
とりあえず他人から注目を浴びたいという欲求を満たすことが目的なので、慰めてもらったり褒めてもらったりされなくても注目を浴びることが出来さえすれば良いわけです。端的に言えば、「こういう不幸な存在を認識しろ。」ってことです。
(自己顕示欲という言葉が正式な心理学の用語ではないことはとりあえず無視してください。)
「承認欲求」 という観点からみれば、前述の通り「愛されたい」「共感されたい」といった感情があるわけですが、自己顕示欲からくる「欲求不満」はあくまで存在をアピールしたいだけなので、一概に言えないのではないでしょうか。要は欲求不満からくる「私・俺って何の価値もないクズじゃね?」という疑問も存在を認識してもらうことで楽になれると考えます。
一々不幸自慢をする人に同情すれば、相手も自分も疲れます。そこで「私だってもっと不幸だもん!」とマウントを取りにかかると、話が終わらなくなるのでやめておきましょう。
ただ、いざ「もうマジ無理。死のうかな。」となるとそんな可哀想な方々はマジで死んでしまう場合もあるので、その人が不幸な自分に酔いすぎる前に止めさせるのではなく、軽く受け流してみればいいと思います。
(長文になりましたが、今度からなんか言ってても「へぇ!そうなんだぁ!すごいね!」的な感じで放置でいいってことです。)