地獄行き新快速

毎日更新 見ないと損だし見ても損だけどたまに得

急に書けない

ブログというものを33日間連続で更新し続けて来ました。

33日間という日数に意味があるのではなく、文を書くという行為そのものに意味があるのであり、いくら駄文であろうが、頭を働かせながら思考を凝らして書いた文であるのなら、当初の目的は達成されたのではないかと考えます。

今日は「文が急に書けなくなってしまった」ことについて書きます。
文が書けないことについて文を書くとか何言ってんだコイツって感じですが、
アーティストにしろ誰にしろ創作意欲というものが一気に失せて自身のモチベーションであったものがどこかへ消え去ってしまうことがあると思うのです。

ちょうどこの記事を書いた4月7日の21時53分14秒の自分は「とりあえず記事を更新するだけしよう、書き始めてみれば筆が乗るのではないか」と考えていました。しかし、そうはいかず、

「燃え尽きた」の5文字が精一杯でした。

なんとも情けない話ではありますが、その日の自分はとにかくそんな感じでした。
前々回の記事にも書きましたが、ここ数日どうにもテンションが上がらず、キーボードを叩くことに悦びを感じれない、ブログが楽しくないと感じていたようです。

アイデアがないって訳でもありません。ブログ用のネタ帳が別に用意してあって、そこにボツネタ含め30程の話題が有るわけですから、それをテーマに記事を書けばいいだけの話です。

ただ、「モチベなんてねえ!」、けど文は書きたい。て感じなんです。

ある人文系の講義で人間がいつ文を書きたくなるかについて学んだことがあります。
私は「文を書いて自分の考えを他人に理解してもらいたいとき」と答えましたが、
教授は「悲しいと思った時に文を書くんです」と言っていました。
その教授は詩や小説などの創作作品を軸に扱う方で、よく授業で多くの作家の作品を紹介するのですが、私はなぜこの文をこの人がこうやって書いたのだろうかなんてまちまちで大して重要視したことがありませんでした。

確かに何かしらの感情が抑えきれなくなって、口に出す訳でもない時は文に変換したくなります。少なくとも私は
中学の時にはもう日記黒歴史帳のようなものをつけていましたし、ストレスが溜まったらガーッッっと何かを書きなぐっていたような気がします。もう内容については思い出したくない

ともかく長い文を書くことに固執している自分が今そこにはいます。いまいち今一歩の恨みが残った気はしますが、ここまで書けた自分を少し労ってみます。

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ゴッホの火の付いたタバコをくわえた骸骨